小さなタネ
岸田阿希さんは、1937年上尾市に生まれる。浦和第一女子高校を卒業,青果市場に勤務。
書道、コーラス,編み物講師、新婦人の会役員、文章教室等毎日忙しく活動していた。
1992年肺がんと診断される。治療の甲斐なく翌1993年7月15日帰らぬ人となる。
ぉの「小さなタネ」は、彼女の遺稿をご主人の岸田寿夫氏がまとめた物である。
彼女は私が勤務した浦和一女で担任をした生徒の一人である。
性格は明るくいつも笑顔と笑い声があった。進取の気性に富み、活発な活動が目立った。
誰からも好かれ信頼されていた、体格は小柄だったが機敏でかつ持久力があった。
肺がんの手術後も、クラス会に出てきて、明るく他人事のような話しぶりが今も目に浮かぶ。
題名の小さな
タネのタネは何を意味するのか、何度も読み返したが、タネという箇所はなかった。
タネが何か?
分かるまで、何度も読んで!
わかった?
彼女は、あの明るい笑顔で、私をからかっているように、
「アハハ・・・・」
甲高い笑い声が聞こえてくる。
葡萄の種を播いたのは始めてのこと、大体山梨の人間は葡萄の種は飲み込んでしまう。
昨年、近所の葡萄を食べたとき,旨いと思ったのでタネをまいたのだ。
まさかこんなに簡単に芽が出るとはおもわなかった。
注意して庭の小さな葡萄棚の下を観察したら、葡萄の実生らしきものが数本見つかった。
昨年、葡萄の収獲が遅れて落ちたものが発芽したと考えられる。
岸田阿紀さんの「小さなタネ」と、何か不思議な縁を感じた日である。